アメリカで入院②
アメリカで入院、つづき。
ERから入院まで
突然始まった腹痛でER(Emergency Room)へ。入院するまでの様子を記しました。
英語カタコトの私、いろんな意味でピンチ!
ERで4時間
ERに運び込まれ、広い個室のベッドの上に寝かされました。次々に入ってくる人が、みんな私に尋ねます。
「名前は?」
「生年月日は?」
「症状は?」
「いつから始まった?」
「持病は?」
「妊娠の可能性は?」など。
代わる代わる10人くらい。みんな同じ質問をするので、その度にうめきながら答えます。(単語で応答!)
術着に着替えさせられ、血圧・採血・検温・心心拍・問診・触診など。(これも単語で)
命に別状が無さそうだと判断されたのか、私の周囲で軽快なアメリカントークが始まりました。(言ってることは分からないけど、雰囲気は伝わるんだな。)
その後、さーっと人が引き、痛み止めを打たれて、しばらく放置。
私を看ていてくれたのは、腕に巻かれた血圧計と指先につけられた心拍計。あとは時々、声掛けで容態を確認されるくらい。
吐き気がすると伝えたら、プラスチックのリングにビニール袋が付いたものをポンと渡されました。嘔吐。(使いやすかった!)
思いがけず、コロナの検査も。(レポートが無いってことは陰性でいいのかな?)
CT検査|外科医登場
入室から(たぶん)3時間くらい経った頃、一度CT検査へ行き、その後またERへ戻りました。今度は少し小さめの個室へ。
しばらくすると、数人を引き連れた外科医だと言う人が現れ、CTの所見を説明してくれました。3ヵ所に腫れが見られるそう。詳しいことはもう少し検査してナンタラカンタラ…(先生聞いてなくてごめんなさい。)そして、最後に名刺を渡されました。携帯番号の裏書き付き。
夫へ連絡
渡された抗生物質を飲んで休む。波があった痛みがようやく落ち着く。
これくらいから、飛び飛びの記憶も繋がってきています。少し冷静にもなってきました。
まずは夫に連絡をと、ポケットに入っていた携帯を取り出すと、夫からのメッセージが。コロナ対策で院内に入れなかったこと、息子を連れ帰って、寝かしつけてくれたことを知り、安堵。そして感謝。
同時に「今日は入院かね。」の一言にハッとし、そっかー家に帰れないのか…とショックを受ける。とりあえず、今の容態と先生の所見を伝えて、携帯を閉じる。
ERで全4時間強を過ごし、私は入院病棟へ移動することになりました。
入院病棟へ
病室に着いたのが、夜10時近く。とても疲れていたので、すぐにでも眠りたかったけど、待っていたのは入院諸手続きでした。看護師さんが、手にしていた書類一枚一枚に日付とサイン。
書類の内容は口頭で説明してくれたけど、分からない言葉も多いし、もう頭も回らない。仕方がないので、ざっと目を通してサイン。
貴重品リストの作成も含まれていたため、ERから渡された、ビニール袋にまとめられた自分の荷物を確認。着てきた服と小さなバッグ。中身はお財布(カード数枚、コイン、免許証)、携帯電話、鍵、ハンカチ、ティッシュ、マスク、ハンドサニタイザー。家に帰れると思ってたので、ホントこれだけ。
しかも、携帯の充電が切れそうで焦る。恐る恐る看護師さんにチャージャーを借りられないか尋ねると、貸し出しはないけどフロントで充電してくれる、とのこと。ありがたい。
病室の説明もざっと受けました。トイレシャワー付き。コロナのせいか、二人部屋に私だけ。ベッドから勝手に降りるとブザーが鳴るそう。
超音波検査|救世主現る
夜10時過ぎ、夜中だけど超音波検査へ。お腹の右下あたりを重点的に調べていたので、もしかしたら盲腸かも…と不安が頭をよぎる。
病室にて。夜間担当の看護師さんは、偶然にも日本人の方でした。異国の地での出会いに感謝。よく分からなかったことも日本語で細やかに説明してもらえて、本当に助かりました。腹痛と英語で心細かった私の救い人。
入院1日目。腹痛も落ち着き、カタコトの英語でもなんとか乗り切ることができました。長く感じた1日がようやく終了。
しかし、ERで会った外科のドクターが「surgery」と何度も言っていたことを思い出し、もしアメリカで手術することになったらどうしよう(リスクとか医療費とか入院期間とか…)と新しい不安が出てきました。
つづく。
海外生活 病気の時は不安増し。
応援のクリックをしてもらえると励みになります。
海外生活